仕事に行く足取りが、少しずつ重くなっていきました。
21年勤めたスーパーマーケット。
かつては「安定」を感じていたはずの場所が、
今ではただ、時間を消費するだけの空間のように感じます。
やる気がなくなったのではありません。
ただ、心がもうここにいないのだと思います。
■ いつの間にか、心が動かなくなっていた
以前は、忙しくても「誰かの役に立っている」と思えた。
売場を整え、部下を指導し、上からの要求に応えようと必死でした。
けれど今は違います。
どれだけ頑張っても評価は変わらず、
異動が決まれば人間関係も一からやり直し。
パワハラや理不尽な指示に、
「もういい加減にしてくれ」と心の中でつぶやく日が増えました。
そんな中で、ふと気づきました。
「このまま同じ働き方を続ける意味はあるのか」と。
■ “お金のためだけに働く自分”に違和感を覚えた
生活のために働くのは当然です。
でも、心のどこかで思っていました。
“本当にこれだけで人生が終わっていいのか?”
安定を求めて選んだ仕事なのに、
その安定が、今では自分を縛る鎖になっていました。
仕事に行けば給料はもらえる。
けれど、その代わりに時間と気力を削られていく。
「このままでは、自分の人生がどんどん小さくなる」と感じました。
■ ブログが、心を整理する場になった
そんなとき、ブログに触れる機会がありました。
忙しさや不安で乱れていた心を、少しずつ整理できるようになりました。
未来に向けて、自分の歩む道を考える余裕が生まれました。
そして気づきました。
本業に身が入らないのは、やる気を失ったからじゃない。
未来を見つけてしまったからだ、と。
■ 今の仕事は「生活の基盤」として割り切る
今は、割り切っています。
本業は生活の土台。
ブログは、未来への準備。
これまでのように「仕事に全力を注ぐ」ことはできなくても、
「今は次の人生をつくる準備期間」と思えば気持ちは少し楽になります。
■ 未来への希望に向けて
目標はシンプルです。
自分の時間を少しずつ増やす
自分の力で選べる働き方をつくる
言葉を通して、少しずつ自由を広げる
いまは、そんな思いで毎日を過ごしています。
■ 46歳からでも、心はまだ動ける
正直、46歳から新しいことを始めるのは怖いです。
でも、心がもう前を向いているのなら、
それを止める理由はありません。
本業に身が入らないのは、もう終わりが見えている証拠。
焦る必要も、無理に情熱を取り戻す必要もない。
今の自分を責めるよりも、
これからの自分を少しずつ育てていけばいい。
46歳。
本業に心が本業から離れたのは、
「もう一度、自分らしく生きたい」と思ったから。
そう気づいたとき、ようやく少し、前が見えました。
 
											 
						
						
						
												 
						
						
						
												 
						
						
						
												 
										
					