もう40代。
これまで異動15回。
コミュ障でもスーパー働いてきた。
ストレス、長時間労働で休みも少なく、休日も疲れて寝るだけ。
仕事の先も見えない。出世したくもない。
ただ、親しい人とだけ過ごしたい。
周りに同じ境遇の人がいない。
いるのかもしれない。
何も見せず働いているのかもしれない。
コミュ障でも、どうして今の仕事を続けてこれたか?
鍛えた我慢強さ
我慢強さより、ここしか働ける場所を探せなかったということが大きい。
ほかに働く場所を見つけられなかった。
学生時代、面接も苦手。第一印象から悪い。
自身も失い、就職活動を放棄。
卒業しても定職につけず、バイトからやっとのことでスーパーの職員に。
ある意味スーパーは、いつでも誰でも働ける。
周りはパートさんばかり。
仕事の内容は、普通のサラリーマンとは違う。
続けてこれたのは、やりやすさがあったのかもしれない。
人と会話がうまくいかない。
そんな時に自分が出来たことは、
態度でしか示せないなら
何より、人より動く。
品出ししかできないなら、誰よりも早く終わらせる。
徐々に認められ、次の仕事と任せられるようになっていきました。
自分に力があれば、違う道も選べたが、あの時は無理だった。今もうそうだが。
あれから19年。人手不足もあり、
マネージャーで勤務しているが、今でも自分には合わない。
悩みを抱えて仕事をしていれば、前にも進めない。なぁなぁで過ごしてしまった。
忍耐力と継続力
何かしら働かなければならない。
コミュ障で人との会話が極端に苦手。
仕事の話もうまくできない。
我慢、我慢、我慢の日々。
今もそう。
いつも逃げたい、早く帰りたい一心で仕事をこなす。
早く帰りたいから、早く仕事を終わらせる。
そういったことも作業スピード向上につながっている。
ただ、スーパーは開店から閉店まで時間が長い。早く終わっても帰れるとは限らない。
理不尽なクレームの多さ。やりがないのない日々。
それでも、今この仕事を辞めてしまえば、収入は途絶える。
稼げるだけ稼いで投資、貯蓄を繰り返し、限界まで働く。
そしてまた、我慢、我慢、我慢の日々が続く。
もう19年。仕事があるだけよかった、あの時、バイトとはいえ選んでなかったら、もっと悲惨な現実があったのか。
こんな思いが、ここまで続けてきた要因かもしれない。
これから
今の辛い経験を元に、
自信がなくても一歩進んで仕事してきた経験。
同じ環境の人と経験を分かち合う。
そんな人が集まるコミュニティを作りたい。
このまま働いても生きていけるが、留まっても上に進んでも、悩み辛いだけ。
今からでも遅くはない。
「一人で生きる力」
「自由」
「コミュ障でも生きていける環境づくり」
を求めて生きる。